社会学者、作家、コメンテーターと、マルチな才能で、活躍中の古市憲俊さん。
2014年出版の「だから日本はズレてる」は、10万部のベストセラーになりました。
また、コメンテーターとしても活動。
「とくダネ」や、「バンキシャ」、「ワイドナショー」などのテレビ番組に出演しています。
そんな古市憲寿さんについて、出身大学や、高校、小学校時代、不登校だったという噂など、気になることをまとめてみました。
古市憲寿の出身大学は?
才能あふるる古市憲寿さん。
出身大学はどちらなのか?
ここでは、古市憲寿さんの出身大学について、調べてみました。
慶應義塾大学環境情報学部
古市憲寿さんの出身大学は、慶応義塾大学環境情報学部です。
偏差値は、70の超難関大学です。
古市憲寿さんは、この大学に、一般入学ではなく、AO入試により、進学しました。
俳優の水嶋ヒロさんと同級生だったといいます。
古市憲寿さんは、慶應義塾大学の環境情報学部を選んだ理由について、「受験時や、入学後すぐに、専門を選ばなくていいというのがこの大学を選んだ最も大きい理由です。学科と言う概念が存在せず、幅広いジャンルが網羅されている講義を好きなように、履修できるんです」と、話しています。
また、大学では、「目的がお互い、自然に受け入れられる」として、友達も増えたそうです。
大学時代にアルバイトの経験はなく、人生においても、アルバイトしたことがないそうです。
大学3年生の時には、交換留学の制度を利用。
ノルウェーのオスロ大学に留学しています。
古市憲寿さんにとって、オスロ大学に留学した経験は、大きいようで、後に、福祉国家と日本の教育システムの違いなど、青少年の教育問題に、多くのコメントを残されています。
東京大学大学院は中退
古市憲寿さんは、大学卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程を修了。
その後、博士課程に在籍していました。
しかし、大学院博士過程の在籍できる期間は、6年で、休学3年を合わせても、9年までしか在籍出来ないこと。
そして、2019年3月まで、古市憲寿さんのツイッターに、何もつぶやかれていないことから、中退は間違いないと思われます。
古市憲寿の出身高校は?
ここでは、古市憲寿さんの出身高校について、掘り下げてみたいと思います。
埼玉県立越谷北高等学校
古市憲寿さんの出身高校は、埼玉県越谷北高校です。
この高校は、1969年開校の県立高校で、高い進学実績でも知られています。
理数科(偏差値67)と普通科(偏差値66)の二つの学科がありますが、古市さんがどちらの学科に在籍していたかは、残念ながら、わかりませんでした。
高校時代は、部活も行っていなかったようです。
古市憲寿さんは、高校大学の進学について、親に一切相談せず、全て自分で決めたとのことです。
また、高校時代には、ポエムのコンクールに、応募して、大賞を受賞したことがあります。
そのことで、大学入学後は、ポエムの略の「ポエ」というあだ名をつけられていたそうです。
ちなみに、同じ高校の出身者に、俳優の佐藤健さんがいます。
高校卒業後、古市憲寿さんが佐藤健さんに、インタビューしたことがきっかけで、仲良くなり、二人は頻繁に会っているようです。
小説が好きな地味な人間だった
古市憲寿さんは、高校時代、ホラー小説を片っ端から読んでいるような学生で、自らのことを「地味な人間」とつぶやいていたと言います。
同級生の友人に対しても、恐怖を感じていた様子です。
普通、高校生にとって、一番興味深い男女交際について、「行為が汚い」と思っていたという古市憲俊さん。
この考えに、共感できる人は、当時、ほとんどいなかったと思われます。
高校時代のアルバムの題名が友達となっていて、恐ろしくて、すぐに閉じたと、Twitterでつぶやいたこともあります。
古市憲寿さんのツイッターは、よく炎上するようですが、高校生の時から、炎上するような発言があったのかもしれません。
古市憲寿は不登校だった!
古市憲寿さんは、小中学校の頃は、不登校だったと言われています。
ここでは、古市憲寿さんの小中学校時代について、ご紹介します。
クラスという制度に違和感を持っていた
古市憲寿さんは、以前のインタビューで、小学校中学校の時代について、「学校があまり好きではなく、不登校ぎみでした」と語っています。
不登校といっても、本格的なものではなく、半年とか、短い期間だったと言います。
ただ、高学年になると、「学校から抜け出すんじゃなくて、学校を居心地のいい場所に変えていけばいいんじゃないか」と考えるようになったそうです。
以前、バラエティ番組「今夜くらべてみました」に出演した時、古市憲寿さんは、「小学3年生の頃は、月曜日を自主的に休みにしていた」と明かしました。
他の出演者に批判されたにも関わらず、古市憲寿さんは、「結果、その後、週休2日になった。ということは、僕の方があっていた」と主張しています。
そもそも、クラスと言う仕組みに馴染めなかったといいます。
「40人ぐらいの児童が、無作為に選択されて、同じ場所で顔を合わせるシステムで、その中で、無理矢理にでも、友達を見つけないと過ごしにくい。他の選択肢もなく、強制的に、クラスで学習しなければいけないことに、違和感を覚えていた」と古市憲寿さんは、後に、話しています。
成績はトップクラス!
不登校気味だったという古市憲寿さんですが、テストの成績はよく、勉強が好きで、春休みの時点で、次年度分の教科書の読み込みと、ワークを終わらせていたようです。
そのため、「4月から学校に行く意味あるの」と思い、余計、学校に行かなかったといいます。
不登校でも、やることはやって、成績も良い古市憲寿さんを周りの大人たちは、どう扱っていいかわからず、困惑していたのだとか。
「もし、僕が勉強のできない子供だったら、大人はもっと分かりやすかっただろうし、自分も、自信もなく、黙って学校に行っていたかもしれない」と古市憲寿さんは、言っています。
子供時代、「勉強ができるんだから、文句を言われる筋合いはない」と開き直っていたそうです。
また、子供の頃から、文章を書くことが好きで、作文は褒められており、「自分にもできることがあるという気持ちが大事だった」と、後に振り返っています。
さいごに
社会学者で、タレントとしても活躍している古市憲寿さん。
大学は、慶應義塾大学の環境情報学部で、その後、東京大学大学院に進学しましたが、博士過程は、卒業せず、中退されています。
越谷北高校時代は、小説が好きな地味な学生だったようです。
また、小中学校の頃は、クラスという制度に馴染めず、不登校気味だったことがわかりました。
しかし、一方で、成績はトップクラスで、勉強が好きだったといいます。
テレビのコメンテーターとして、歯に衣着せぬ物言いで、人気の古市憲寿さん。
これからの活躍に期待したいですね。