卓球東京オリンピックの日本代表3人目に選ばれたのは、平野美宇さん。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、惜しくも、代表になれなかったものの、サポートメンバーとして、選手に同行し、裏方に徹しました。
悔しさをこらえて、笑顔で振る舞い、チームに貢献。
4年前のこの経験が無駄にならなかったようで、今回、見事、代表に選ばれました。
平野美宇さんの妹さんも、卓球選手、ご両親も元卓球選手とのことで、平野美宇さんの二人の妹さんや、ご両親について、ご紹介したいと思います。
平野美宇は妹も卓球選手
平野美宇さんは3人姉妹の長女で妹さんが2人いらっしゃいます。
妹さん達のお名前は、世和さんと亜子さん。
妹さんは、2人とも、卓球の選手であることがわかりました。
世和さんと亜子さんは、どんな人なのでしょうか?
ここでは、二人の妹さんについて、調べてみました。
平野世和
平野美宇さんの妹、平野世話さんは、次女になります。
平野世和さんは、2歳の時、姉の後を追い、卓球を始めました。
2歳と言うと、まだ走ることもできないような年齢なのに、そんな小さい時から、卓球をするって、平野美宇さんの一家は、父親も、母親も、元卓球選手なので、こんなに早く、卓球をすることができたのですね。
世和さんは、現在、高校生。
山梨県の甲府西高校に在籍中です。
高校生になってからの主な成績は、次の通りです。
全日本高校総体、卓球競技大会、山梨県予選4位。
山梨県高校新人卓球大会優勝。
県大会で1位になったことで、2018年12月に、千葉で行われた関東大会への出場を手にしました。
世和さんは、母親の真理子さんが経営する卓球教室、「平野英才教育研究センター」で、腕を磨き、姉の美宇さんと練習されていたようです。
平野亜子
平野亜子さんは、平野家の三女です。
2017年6月、母親の平野真理子さんは、本を出版。
その中で、平野亜子さんが発達障害であることを告白しています。
亜子さんは、3歳の時に、発達障害と診断されました。
発達障害は、対人関係が苦手という特徴があります。
亜子さんも、人間関係が苦手で、自分のやりたいように、行動してしまうようです。
6歳の時、平野亜子さんが「卓球したい」と言い出しました。
母親の真理子さんは、平野亜子さんを特別扱いせず、本人のやりたいことを尊重した教育方針で、育ててきました。
現在は、発達障害は、個性とも言われており、亜子さんも、卓球の才能で、花開いています。
平野亜子さんは、現在、中央市立田富中学校の3年生。
中学生になってからの成績は、次の通りです。
全日本選手権、カデットの部、シングルスで、2回戦進出。
第19回全国中学選抜大会シングルスで決勝進出。
素晴らしい成績を残されていますので、将来、姉、美宇さんに追いつくような選手になるかもしれませんね。
平野美宇の父親は?
平野美宇さんの父親は、どんな人なのでしょうか?
かつて、大学の卓球部で、主将を務めていたことがあり、その後、宮崎医科大学を卒業してから、内科の医師をされているようです。
ここでは、平野美宇さんの父親について、ご紹介します。
筑波大学の卓球部主将
平野美宇さんの父親は、元卓球の選手だったことがわかりました。
筑波大学時代、卓球部の主将がされていて、全日本選手権にも、出場したことがあるほどの実力だそうです。
また、全国国公立大学卓球大会では、1987年と1988年に、2連覇したこともあります。
父親は、プロの道も考えたかったそうですが、厳しいプロの現実を突きつけられ、指導者になることを考えたのだとか。
父親は、筑波大学では、医学部ではなかったようで、卓球の推薦で、入学し、体育やスポーツについて、学んでいました。
医師になる前は、高校の体育の教師を目指して、教員採用試験の勉強をしていた時期もありましたが、先生に恵まれず、辞められました。
内科の医師
平野美宇さんのお父さんの名前は、平野光正さんです。
父親は、筑波大学を卒業した後に、宮崎医科大学に編入。
その後、内科の医師になりました。
父親は、筑波大学卒業の時には、進路を決められなかったそうです。
その時、小学校の恩師から言われた、医師という仕事の尊さを思い出し、医学部に再受験することを決意しました。
現在は、医師になり、山梨県甲府市にある甲府城南病院の循環器内科に勤めています。
平野美宇の母親は?
平野美宇さんの母親は、どんな人なのでしょうか?
調べてみたところ、筑波大学で、卓球部の主将をしていたこと。
卓球教室を開き、選手を育成していたこと。
また、本を出版していることがわかりました。
ここでは、平野美宇さんのお母さんについて、ご紹介します。
筑波大学の卓球部主将
平野美宇さんの母親は、父親と同じように、元卓球選手だったことがわかりました。
お母さんのお名前は、真理子さんといいます。
お母さんも、筑波大学の出身。
筑波大学では、女子卓球部に所属し、主将をしていたとのことです。
お母さんは、高校、大学とも、卓球部に所属。
ご主人とは、筑波大学の卓球部で、出会ったようです。
母親は、大学3年生の時に、関東大会で優勝するなど、卓球選手として、素晴らしい成績を収めました。
教師をしながら選手を育成
その後、母親は、10年あまり、中学校の教師として働いていました。
その時、母親は、全国教職員卓球大会で、ベスト8に入る好成績を収めています。
母親は、卓球の指導者としても、実績が豊富で、「平野英才教育研究センター卓球研究部」を設立して、卓球選手の育成にあたっていました。
平野美宇さんのいとこの村松雄斗さんも、卓球選手です。
村松雄斗さんを育成したのが、平野美宇さんのお母さんなのです。
本も出版している
平野美宇さんの母親は、「美宇はみう。」という本を出版しています。
その本の中で、娘をどう育てたのかについて、エピソードを交えつつ、綴っているのです。
お母さんの教育法は、子供の自主性を尊重した教育方なのだとか。
しかし、生活上のしつけは、とても厳しく、平野美宇さんは、掃除、洗濯、料理など、自分の身の回りのことを全て、自分でやらせるように躾られてきたと言います。
また、母親の真理子さんは、平野美宇さんが「第2の愛ちゃん」と呼ばれることに、ジレンマがあったようです。
そのことを出版した本の中で、告白しています。
ただ、そんな時、母親は、本のタイトルでもある、平野美宇さんの言葉、「美宇はみう。」に救われたのだそうです。
さいごに
卓球の東京オリンピック、3人目の代表に選ばれた平野美宇さん。
妹の世和さんと、亜子さんも、幼い頃から、卓球をし、現在は、卓球選手として、素晴らしい成績を残されています。
父親は、筑波大学在学中に、卓球部の主将として活躍。
現在は、内科の医師をされています。
一方、母親も同じく、卓球の選手で、大学卒業後は、教師をしながら、卓球選手の育成に力を注がれていました。
また、母親は、平野一家の教育法について、本も出版されています。
見事に、オリンピック日本代表の座をつかんだ平野美宇さんのこれからの活躍が楽しみですね。