高地優吾さんは、SixTONESの最年長メンバーでリーダーです。
「父親のコネでジャニーズ事務所に入所した?」とネット上ではうわさになっています。
SixTONESは2015年に結成、2020年にCDデビューを果たしたグループ。
高地優吾さんは、グループ結成時に退社の覚悟もしていました。
今回は、2009年にジャニーズ事務所に入所した高地優吾さんについてご紹介します。
高地優吾は父親のコネで入所したの?
ネット上では高地優吾さんが「父親のコネで入所した」とうわさになっています。
高地優吾さんが、どうして父親のコネ入所と言われているのでしょうか?
理由を調べてみました。
コネ入社をうわさされる理由は?
コネ入所をうわさされる理由は、異例の出世ぶりが関係しています。
高地優吾さんは、入所2週間ほどで中山優馬さんたちとグループを結成。
その後CDデビューや紅白出場を果たしています。
父親が芸能界で仕事をしていたこと、当時高地優吾さんの歌とダンスが下手だったこともあり「ジャニーズの入所は父親のコネではないか」とうわさされました。
父親のブログではジャニーズジュニアだった高地優吾さんが出演するテレビで、気学デザインのアクセサリーを着用してもらったことを紹介。
ブログで何度も息子を紹介したことで、コネ入社を疑われました。
自分の息子をブログなどで紹介することは、父親としては普通のことですよね。
父親が芸能の仕事とは一切関係のない一般の人であれば、ここまでコネ入所のうわさが出ることはなかったのかもしれません。
実際に父親のコネ入所であったかはわかりません。
特別扱いで嫌がらせを受けた過去も
高地優吾さんは、特別扱いで嫌がらせを受けた過去があります。
なかなかデビューできないジャニーズジュニアの中には、高地優吾さんの特別扱いをよく思っていない人がいました。
妬まれ、仕事場で仲間外れにされるなどの嫌がらせを受けています。
ジャニーズジュニアファンからは、悪質なうわさを流されたりや誹謗中傷を受けたりしたことも。
ファンや芸能関係者の目撃情報から、高地優吾さんが嫌がらせを受けていることが記事にもなりました。
先に入所しているメンバーからすれば、特別扱いの高地優吾さんを妬む対象とするのは不思議ではありません。
過去の嫌がらせや誹謗中傷を乗り越えてきた高地優吾さんは、人知れず涙したこともきっとあったでしょうね。
高地優吾の父親はどんな人?
ジャニーズにもコネがあるとうわさされていた高地優吾さんの父親。
芸能関係者だとしても、息子をスピード出世させるほどの力があるとしたら、どんな人なのか気になりませんか?
そこで父親の職業や息子の高地優吾さんとの関係を調べてみました。
KOHCH気学の創始者
父親の職業は気学鑑定士で、KOHCHという名前で活動しています。
KOHCH気学の創始者で、テレビ出演・雑誌の連載・タレントやスポーツ選手へのアドバイスなどをしています。
「気持ちが前向きになる」と、たくさんの芸能人やスポーツ選手がKOHCHさんのアドバイスを受けに通っているのだとか。
高地優吾さんにも、メンタル面のアドバイスをたくさんしていたかもしれませんね。
ブログで息子をPR
高地優吾さんがジャニーズジュニア時代だった頃から、ブログで息子をPRしていたKOHCHさん。
『スクール革命』に出演しているメンバーに気学デザインのアクセサリーをプレゼントし、
そのことをブログで紹介したこともあります。
父親が高地優吾さんをPRしていたかどうかはわかりませんが、自分の息子をブログに載せるのは普通のことですよね。
親子関係は良好であることがうかがえます。
高地優吾がジャニーズ入社したきっかけは?
たくさんいるジャニーズですが、「スカウトされた」「親が勝手に履歴書を送った」などジャニーズに入所する理由は人によってそれぞれ。
高地優吾さんがジャニーズに入所したきっかけはなんだったのでしょうか?
友達が『スクール革命』のオーディションに応募
中学生のときに友達が、日本テレビの学園バラエティ番組『スクール革命』の新入生オーディションにいつの間にか応募。
1300人の応募があり、視聴者一般投票でオーディションに合格し『スクール革命』の新レギュラーに選ばれました。
勝手にオーディションに応募されていたのを知ったときは、きっと驚いたでしょうね。
嫌がらずにオーディションに参加した高地優吾さんは、チャレンジ精神があってすごいですよね。
芸能界入りするつもりはなかった
高地優吾さんは、もともと芸能界入りするつもりはありませんでした。
2009年にジャニーズ事務所に入所した最初の頃は、歌もダンスも嫌いでいつ辞めていいか駄々をこねていた高地優吾さん。
大学は東京都にある和光大学を卒業しています。
ジャニーズ事務所で活動しながらも大学に通い、卒業後は教師になることを夢みていました。
自分の意思で応募したわけではないオーディションなので、芸能界入りに興味がなかったのは納得です。
嫌いな歌やダンスのレッスンは苦痛で、練習を続ける意味がわからない日もあったでしょうね。
高地優吾の入所後の経歴がすごい!
高地優吾さんが2009年にジャニーズ事務所に入所後、SixTONES結成までの経歴を調べました。
今まで所属していたグループ、俳優デビューした作品はどのようなものだったのでしょうか?
中山優馬 w/B.I.Shadowを結成
中山優馬w/B.I.Shadowは、2009年に中山優馬さん・中島健人さん・菊池風磨さん・松村北斗さん・高地優吾さんの5人で結成されたグループです。
デビュー曲の「悪魔な恋」は、フジテレビ系ドラマ「恋して悪魔」で主題歌に起用されています。
「スクール革命」で芸能界入りしてから、すぐにグループ結成が決まっていますよね。
高地優吾さんや家族、友人もきっと驚いたことでしょう。
NYC boysでCDデビュー
NYC boysは、中山優馬 w/B.I.Shadowのメンバーに山田涼介さんと知念侑李さんが加わった期間限定ユニットです。
女子バレーボールワールドグランプリ2009のスペシャルサポートーとして活動。
この年の紅白歌合戦に出場しています。
CDデビューや紅白出場など2009年は高地優吾さんにとって、いろいろと変化のあった1年だったでしょうね。
『私立バカレア高校』で俳優デビュー
高地優吾さんは、2012年に放送されたドラマ『私立バカレア高校』で俳優デビューをしています。
原作は秋元康さんが担当。
深夜帯のドラマでしたが、ジャニーズジュニアやAKB48とのコラボが話題になり好評でした。
映画も製作されています。
深夜に放送されていた番組が映画になるとは、高視聴率で人気のドラマだったかよくわかります。
人気のあるアイドル同士の共演をドラマで観られるのは、視聴者にとって貴重だったのかもしれませんね。
SixTONESを結成
2015年に結成されたSixTONES。
結成のきっかけは、高地優吾さんでした。
「『私立バカレア高校』で共演した6人で再び仕事がしたい」とジャニー喜多川さんに直談判。
事務所がメンバーを考えたわけではなく、自分たちの意思でグループを組んでいるのでメンバー同士の仲が良いと言われています。
個々の仕事が多くなっている時期もあったようですが、2015年に6人でSixTONESを結成したときはファンもきっとうれしかったでしょうね。
グループ名の由来は、「音の6原色」。
それぞれの個性や歌声がたくさんの人に届くグループになるようにと願いが込められているのかなと思います。
高地優吾はかっこよくない?
ジュニア時代の高地優吾さんを「ぶさいく」「かっこよくない」と書いたコメントは多数あります。
理由は、デビューの仕方にあります。
『スクール革命』でテレビデビューとジャニーズ事務所の入所が決まった高地優吾さん。
それまで一般の中学生であったにも関わらず、いきなり芸能界入りです。
中学生で垢ぬけていない高地優吾さんを見た人たちは、「ぶさいく」「かっこよくない」と評価しました。
他にもお笑い芸人に似ているからかっこよくないと言われています。
似ていると言われているのは、よゐこの濱口優さんと星田英利さんです。
「お笑い芸人=かっこよくない」とのイメージから、2人に似ている高地優吾さんはかっこよくないと感じる人がいるようです。
そして好みの問題があります。
SNS上では高地優吾さんを「ぶさいく」・「かっこよくない」と書き込んだコメントが多数ありますが、「かっこいい」・「かわいい」と思っている人も多くいます。
テレビデビューした当時はふつうの中学生だったのですから、すでにジャニーズ所属のジャニーズジュニアと比較されて高地優吾さんも困ったのではないでしょうか。
人によって顔の好み・タイプはそれぞれですよね。
「かっこいい」と思う人もいれば、「かっこ悪い」と思う人がいるのは当たり前。
万人受けすることは本当に難しいと思うので、いろいろな意見があるのは普通のことかもしれません。
高地優吾は歌もダンスも下手?
異例のスピードでCDデビューや紅白出場をしている高地優吾さん。
ダンスの経験や下積みがあまりないままデビューをしたので、歌もダンスも下手だと評価されました。
「自分に足りないのは歌とダンス」と高地優吾さんも語っています。
しかし苦手意識がある中で、休憩中には鏡の前でダンスの練習をするなど努力を続けていました。
現在では「ダンスがどんどん上手くなっている」、「人並以上に歌がうまい」とのコメントが多くあります。
下手だと評価されながらも、人一倍努力を続けてきた結果が今につながっていますよね。
きっとこれからも、ますます歌とダンスに磨きがかかっていくことでしょう。
今後テレビなどで、高地優吾さんの歌やダンスを見るのが楽しみですね。
高地優吾は歌もダンスも下手?
高地優吾さんは、ジャニーズ事務所を退所する覚悟をしていたときがあります。
SixTONESデビューまでの間、高地優吾さんは退社について何と発言していたのでしょうか?
「失敗したら事務所をやめる」と発言
「失敗したら事務所をやめる」と発言していたのは、SixTONESが結成されたときです。
このグループで失敗をしたらジャニーズ事務所は退所する気持ちでいた高地優吾さん。
同じグループの松村北斗さんも同じで、「最後の賭けだと思った」と話しています。
グループができるきっかけを作り、一番年上であることに責任感を感じていたのかもしれませんね。
事務所をやめることは仕事を失うことにつながります。
高地優吾さんの覚悟が伝わってきますよね。
SixTONESデビューにファンも喜び!
SixTONESが結成されてからも、なかなかデビューを果たすことができませんでした。
高地優吾さんがジャニーズに入社してから10年の間に、ファンの間では途中で退社をしないか不安だった人もいます。
2020年にSixTONESデビューが決まったときには、メンバーはもちろんファンも大喜びでした。
嫌がらせを受けるなどつらいこともあったと思いますが、ジャニーズを退社せずにがんばってきたからこそデビュー決定の喜びは大きかったでしょう。
高地優吾さんの姿を見て、ジャニーズを目指すきっかけになった人もいるかもしれませんね。
まとめ
今回は、「高地優吾さんは父親のコネで入所した?SixTONES結成時には退社の覚悟も!」についてご紹介しました。
異例のスピードで活躍の場を広げていた高地優吾さんですが、SixTONESとしてデビューするまでに長い道のりがあったことがわかりました。
協調性があることや柔らかい優しい雰囲気が、高地優吾さんの魅力でありSixTONESに欠かせない存在となっています。
今後の活躍から目が離せませんね。